2025/10/08 15:29
ふと「また野球をやります」とか言いそうな気がして静観していましたが
やっぱり引退したようなので、タカシ(カープ上本崇司選手)との思い出を。
タカシと初めて出会ったのは2015年1月のグアム自主トレでした。
話を聞いた時は「ああ、あの雨で中止になった日に踊っていた子か、賑やかでいいね」という印象でした。

蓋を開けてみれば口癖は「大丈夫です」の寡黙で真面目な男。
基本、何もしゃべりません。
いやいや、どこか痛いでしょと聞いても「大丈夫です」しか言わない。このスタンスは引退するまでずっと変わりませんでしたね。痛いです、と言うような男ならこんなに長く出来ていないでしょう。
出会ったころの身体つきはその辺の普通のあんちゃんみたいですね。
どっちかというと、アツ(會澤翼選手)にくっついてきたという感じでした。
どっちかというと、アツ(會澤翼選手)にくっついてきたという感じでした。実際アツが引っ張って連れてきたのかも知れませんし、当時からアツは僕にコソッと「守備力はピカイチ」と言っていたくらい評価は高かったですから、アツなりに英心やテツから色々学べよという事だったのでしょう。

現地の子にさえ、何かを学んでいましたけど。
自主トレでいろんな所に行きました。

この時のグアム自主トレはアベちゃんがトレーニングを引っ張ってくれました。

先輩のテツと、同期入団の誠也と共に内川選手の自主トレにも行きましたね。

喜び方が可愛いすぎるぞタカシ
大分では

このメンバーの中で打つのは恥ずかしいからとか、どうせ打席は少ないから僕は打たなくていいですとか言って、端っこで恥ずかしそうに打ってました。まだ両打ちの頃です。

沖縄ではボウズ頭でしたね。英心もタカシを良く叱ってくれました。ありがたいことです。

2020年、楽天に移籍したシモ(下水流くん)と一緒に行った日南の自主トレの頃からでしょうか。
やはり一軍では打てないと試合に出れないからと、一度は自ら「バットを置いた」タカシでしたが
またバットを握って必死に振り始めました。

そういうネガティブな言葉を言わなくなったころから試合に出れるようになって、結果も出始めた気がします。
顔も身体も段々逞しくなっていきました。
その後の成長はご存じの通りです。

僕はタカシのプレースタイルが好きでした。
最近高校野球に関わっているのですが、高校野球は本当に面白い。
負けても明日の試合があるのがプロ野球、負けたら終わりなのが高校野球。
タカシのプレーは高校球児のような必死さがありました。いつ終わるかわからないと、本気で思っていました。
もうちょっと加減すれば防げたケガもあったと思いますが、手を抜いて通用する世界ではないと言うことはタカシが一番感じていることでした。故に常に全力プレーでした。その選択肢しか、無かったわけです。
プロ野球は全ての技術の最高数値が競い合う夢の世界としての魅力がありますが、一方アマチュア野球は未熟で発展途上の面白さがある。未熟ゆえの必死さがある。プロの感動は技術の素晴らしさ、アマチュアの感動はその背景が見えた時だと思います。
どっちも尊いですが、トレーナーという職業上やはり可能性と言う事が一番の魅力であり、タカシの存在は多くの球児にとって夢ではなく実現可能な「目標」でもあったと思うんです。世の中の球児みんながプロ野球サイズでは無いのですから。
時代の流れはありますが、タカシのような、まるで発展途上の高校生のような選手が消えていくようなプロ野球にはなってほしくないと思います。

最後に。
やはり引退の直接的な理由はケガだったと思っています。
あってはならない自主トレ中のケガもありました。
こんな力のないトレーナーを最後まで信頼して、2015年から欠かさず毎年自主トレに誘ってくれて本当に感謝しています。
ありがとうタカシ。
